小樽市役所グリークラブ日記

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ロンドン・オリンピック開会式をポール・マッカートニーが"ヘイ・ジュード"で締め

7月27日に予定されているロンドン・オリンピック開会記念式典でポール・マッカートニーの“ヘイ・ジュード”で式典を締めくくることになるという。(1日付の英紙サンデー・タイムズ)

予算2700万ポンドをかけ、映画監督のダニー・ボイルが総指揮を執っているこの記念式典は6万人が詰めかけるストラトフォード・オリンピック・スタジアムで行われ、9時に開会し、3時間後のおよそ真夜中にポールが自身のライヴで式典を締めくくることになるという。

もともとポールはエリザベス女王の在位60周年記念コンサートでも“ヘイ・ジュード”を演奏するようにとのリクエストもあったのを断ったとされていて、これがにわかに“ヘイ・ジュード”はポールのオリンピック・セットリストに含まれているのではないかという噂をかきたてていたが、ここにきて関係者筋が“ヘイ・ジュード”"が式典のフィナーレを飾る曲となることを『サンデイ・タイムス』紙に語ったという。

なおボイル監督の演出ではスタジアムに緑豊かな田園地帯としてのイギリスの光景を作り出してみせる一方で、荒涼とした工業地帯の風景も交錯していくものとなって、イギリスの社会や経済の歩みを明暗ともに扱いながら振り返っていくスペクタクルとなっているという。

その最終演目としてポールがライヴを届けることになるが、その最終曲として"ヘイ・ジュード"を演奏し、会場に詰めかけた観客全員を巻き込んだ大合唱フィナーレになるそうだ。

【以下は、Wikipediaの解説】
「ヘイ・ジュード」("Hey Jude")は、1968年8月にビートルズが発表した18枚目のオリジナル・シングル曲である。1970年2月にリリースされたアメリカ・アップル・レコードのコンピレーション・アルバム『ヘイ・ジュード』に収録され、同アルバムは1979年にはイギリスでも発売された。
2004年に『ローリング・ストーン(Rolling Stone)』誌が選んだ「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(The RS 500 Greatest Songs of All Time)」に於いて、第8位となった。
Jude はたいていは男性名であるが、女性名 Judith(ジューディス)の愛称としても使われる。このことが歌詞の多様な解釈に繋がっている(後述)。

レノン=マッカートニー作。実質的にはポール・マッカートニーの作った楽曲である。リード・ボーカルはポール。ポールはピアノ[1]、後半リフレイン部分のオーケストラの指揮も担当している(オーケストラ・アレンジはプロデューサーのジョージ・マーティン)。
7分を超える演奏時間は当時のポップスとしては異例の長さで[2]、後半(曲全体の半分以上)で「na na na,na na na na[3]... Hey Jude」のリフレインを延々と繰り返している(このリフレインの合唱及び手拍子は、この後半部を演奏したオーケストラ・メンバー36名によるものである)。
ジョン・レノンと当時の妻・シンシアの破局が決定的になった頃、ジョンの長男ジュリアン(当時5歳)を励ますためにポールが作った曲と言われている[4]。実際にこの曲は当初、"Hey Jules" (Jules はジュリアンの愛称)として構想されていたとポールは語っている[5]。一方、ジョンは(オノ・ヨーコに夢中だった時期だからか)「自分への歌(と聴くことも出来る)[6]」と発言している。またジョンは、婚約者ジェーン・アッシャーから婚約を一方的に破棄されたポールの、ポール自身に宛てた無意識のメッセージではないか、とも考えていた。これについては、ポールは否定している。また前述のように、Jude は女性名でもあるため、デイリー・エクスプレスの女性記者 Judith Simons のために書かれたと考える人もいる[7]。
一方、Jude はドイツ語ではユダヤ人を意味しており、それを全く知らなかったポールは、宣伝としてアップル・ブティックのウィンドウに「Hey Jude」と自ら大書したため、反ユダヤ主義の落書きかと誤解され、窓ガラスが割られ抗議の電話がかかってくる事態となった[4]。
『ザ・ビートルズ』(ホワイトアルバム)と同時期にレコーディングが行なわれ、彼らが初めて8トラック録音に挑んだ作品でもある。このため、彼らが普段使用しているアビー・ロード・スタジオではなくトライデント・スタジオを使用した。しかし、EMIのアビー・ロード・スタジオと独立系のトライデント・スタジオでは機材の規格がまったく違っていたため、レコーディングとミキシングを済ませてアビー・ロード・スタジオへ持ち帰ったマスターテープをプレイバックした際、高音域がほとんど死んでいることがわかった。そのことはビートルズのメンバーにも伝えられ、善後策が協議されたが、イコライザ操作で高音域を何とか蘇らせることが出来たため、録り直しによる発売延期など最悪な状況は免れた。この曲がビートルズの他の楽曲に比べて全体的にエッジが利いておらず、あたかもボーカルとすべての楽器をオフマイクで録ったかのように籠った感じで聴こえるのはそのためである。
ドラムが2番から入るのは、トイレへと席を立っていたリンゴが、戻ってきて2番からドラムを重ねてきたところ、ポールが「このテイクはいける!」と感じたため[8]。
ポールは "The movement you need is on your shoulders" の歌詞を修正もしくは削除するつもりだったが、ジョンの「ここがいちばん格好いい詞なんじゃないか。捨てるなんて勿体ない。残しておけよ」というアドバイスに従い削除しなかった。ポールは今でもこの歌詞を歌う際、ジョンを思い出して懐かしい気分になるのだという。ジョンは解散後「歌詞は立派なもんだ。頑張ればポールにもいい詞が書けるという証拠だな」というコメントを残している。
ちなみに、"Remember to let her under your skin" と "Then you'll begin to make it better" の間に "Fucking hell!!"(クソったれ!!)と悪態をつくポールの声がかすかに聴き取れる。ジョン曰く「ポールがピアノをミスって、使っちゃいけない言葉を使ってしまったのさ。でも俺はそのままにしとけって言い張ったんだ。ギリギリで聞こえるか聞こえないかのレベルでな。たいていの人は気づかないだろう。でも俺たちは分かっているのさ。」
1996年にロンドンで「ヘイ・ジュード」のレコーディング用楽譜類譜がオークションに出された際、ジュリアンが2万5千ポンドで落札している。
ステレオ・バージョン [編集]

「ヘイ・ジュード」のリアル・ステレオ・バージョンは、イギリスにおいてはビートルズの活動中にはリリースされなかった。ただし、アメリカでは1970年2月にリリースされたアルバム『ヘイ・ジュード』に収録された。英国では1973年4月リリースの『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』が最初となる。CDでは1988年3月にリリースされたアルバム『パスト・マスターズ Vol.2』に収録された。
シングル盤 [編集]

シングル盤は1968年にビートルズ自身が設立したアップル・レコード初のシングルとして同年8月30日にイギリスでリリースされた。『ビルボード』(Billboard)誌では、1968年9月28日に週間ランキング1位を獲得、9週間連続1位に。同1968年年間ランキングでも第1位であった。この1位は1964年の「抱きしめたい」("I Want To Hold Your Hand")に続くものであり、ビルボード誌年間ランキング第1位を2度獲得したのは、同誌史上初めてのことであった。『キャッシュボックス』誌では連続7週第1位を記録し、年間ランキングでも第1位を獲得している。イギリスでは「ミュージック・ウィーク」誌で、2週連続最高位第1位を獲得している。
B面の「レヴォリューション」は『ビルボード』誌で最高位12位、年間ランキング78位。『キャッシュボックス』誌では最高位11位、年間ランキング98位を記録している。
アメリカだけで400万枚以上、イギリスでは90万枚以上を売り、全世界では1,300万枚のセールスを記録。世界歴代シングル売上第4位(ギネス・ワールド・レコーズ認定による)とされる。尚、R&Bシンガーのウィルソン・ピケットのバージョンもリリースされているが、こちらは、ビルボード誌最高位23位、全英では最高位16位を記録している。
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by naccam | 2012-07-16 06:52

◇男声合唱の交流を目指す オッサン達の日記


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